マルチクリエイト☆2児パパサロン

仕事のクルマ、バイクなどの機械系。家庭内での掃除、修理が主です。あとは、人生の歩み方を、独り言として綴っていきます。

11月11日の証し 〜2020年 rapt-neo.com

 

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本当に早いもので、4回目の祝祭の日となりました。

 

4年、、 私はもっと熱く走れたはず、もっと成長出来たはず、、

寝ている、休んでいる、、 それではいけない。

証しも悟りも書けていない、、 悔い改めます。

 

 

 

 

今回は私の11月11日について書いていきます。

 

・まず主のお計らいにより自営業をさせて頂いてますので、この日は4年共にお休み。(信じられない人がいるかもしれませんが、私は仕事を仕事だと思っていません。 別に責任感が無いとかいう話ではなく、もっと知りたい、探求したい。そういった考えなので何の苦もなく現在定休日もなし。 そんな事も手伝ってか、一日お休みというだけですごく新鮮に感じます。)

・子供が今年4歳と2歳ですが、毎年嫁と皆でお出掛け。

・そしてなるべく昼ゴハンは嫁の手作りお弁当。

・食べるのは公園。

 

このような傾向にあります。

 

 

そして2019年までは天気が悪いにも関わらず、濡れなかったり、晴天になったりと本当に天候の恵を受けたと感じました。 神様にとって天気などいとも簡単に変えられる。まさにその言葉通りです。

 

毎年ざっと計画は立てるのですが、18年と19年は予定外に狂いました。

18年は夕飯をあるうどん屋さんにしようと計画。関東にいくつかあるお店で、東海地方にぽつりと1店舗だけありなかなか良いよと聞いたからです。

そのうどん屋さんに照準を合わせてその日を行動、夕方あたりに到着しようという予定でした。 しかしその日は土曜日で、 到着すると、、     閉まっている。。

 

なんと土曜日は昼までで終了! 営業時間を調べていなかった事が原因です。

ここにポイントを合わせていた為、呆然とするわたし。 代案もなかなか出せない。

 

そんな時に嫁が「しゃぶしゃぶは?」と助言をくれ、霧が晴れたように決定しました。

しかもその場所から遠くなくスグに到着。 そのお店はよく混んでいて待ちとなる感じなのですが、時間帯なのか待ちもなく入店。 そしてうどんよりもこちらの方がずっと良かった事にスグ気が付きました。 もっと良い物を食べなさい。と神様が止め、嫁の口を通して導いて下さったのです。 そして店を出る頃には待ちでいっぱいとなっていました。

 

 

 

19年は岐阜の金華山へ行こうと計画しましたが、なんと通行止め。

 

裏側にも回りましたが、同じく。

これまた前年同様計画倒れです。 通行止めの看板に辿り着く頃には、降っていた雨も止み晴天が覗いていただけにガクリ。 しかしここでもしっかりと代案が見つかります。

 

戻る途中の「河川環境楽園」と言う小さなテーマパークで、そこには観覧車もあったんです。

ツイッターやインスタグラムのトップの画像はこの観覧車から撮ったものです。

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そしてパークの中にはお店もいくつかありましたが、その中のパン屋さんに、「11月11日だけの限定チョコぱん」という物もあり、ピンポイント過ぎて驚きました。

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思えばこちらの方が山より断然良い。 18年のうどん屋と同じく、もっと良いものを与えるために計画変更された事が良く分かります。 やはり計画通りに行かないその時には気分が落ちてしまいますが、それら全てが更に良いものの為である事を19年も見せて下さいました。  同時にこの日に限らず平素もそうなのだという気持ちも伝わってきました。

 

その後、更に帰り道で別の公園に寄り綺麗な夕日も見る事が出来ました。

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そして最近では基本外食をしない私はうどんの件も考慮し、夜は肉の王道「焼肉」としました。 そのお店に向かう道中で再び降雨。 そう言えば山に着いて止む前にも結構な雨が降っていて、その道中寄ったお店ではたまたま店舗横の駐車スペースが一台だけ空いており、一切濡れる事なく入店。 ふと外を見るとその後すぐに車が溢れ皆濡れながら走っていました。

 

 

雨 → 晴天 → 雨 

 

 

これだけ雨に囲まれていて、あれほどの晴天にしてくださるとは。 始めからずっと晴れではなく、こうして実感出来るような手法も神様のなせる業と感じました。

 

 

 

 

 

 さて、話は今年の2020年に移ります。

 

まず11月11日を迎えるにあたり昨年から思う事、、 それは、絶対的に霊的な時間が取れていない事。 そこで11月に入ると今年も感動がありました。 

 

それは仕事を1週間程休みにして聖書を読む(など)霊的な条件を立てる事です。

 

先にも書きましたが、現状定休日を作っていないので、ある意味365日営業となっています。 そして有り難い事ですが、仕事が途切れた事が無く、常に何かしら入庫しています。 今年はそのあたりが特に顕著で、11月に入った途端パタリと入庫が止まり、残っているのは期日の無い長期入庫車両のみ。 こんな状態になったのはホント初めてで、これに近いのは正月の部品入荷待ちぐらいでしょうか。

 

感動と実際の状況がリンクしていて、正に神様がここに合わせて調整されているんだ、と理解しました。 事実、12日以降は近年稀にみる激務で、何とか綱渡りでこなす事の出来るレベルとなりました。

 

実際、霊的な時間を取り聖書を読んでいくと、以前よりも読み込める。 そして午後は御言葉を聞きながら庭木の剪定、特に電話、来客もなし。 あるお客様に後で聞いたのですが、ちょうどこの期間に連絡なしでこちらに向かったが、すぐ近くまで来た所で仕事の電話が入りUターンして帰って行ったそうです。 自分の知らない所でも確実に力が働いているのだと実感。 そして仕事を一番にしないこの感覚は、やはり大事だと思いました。

 

明け方のお祈りも、以前は近所の橋で祈る事を見い出してから続けていましたが、それがいつからか雨や寒さ、眠気を理由に自宅の部屋でと甘さが出ていました。 そして今回、サタンが眠気を入れて来るのだという事、そして天使天軍も間違いなく加勢してくれていると真に実感するに至りました。

 

このタイミングで橋へ行く事を復活、そして週一の断食を水曜日と決めていた私は、11日が水曜日である事から前日の10日を断食日としました。しかし今までの辛さのある断食とは打って変わり、一切水も飲まずで明け方走れる程の状態でした。 そうして11日を断食祈りで臨んだのですが、嫁に起こされ携帯を見ると、、

 

 

「11月11日 1時11分」

 

 

橋に行くと「1111」のナンバーを付けた車も通って行く。 これは絶対に忘れませんね。

 

そしてこの一週間で賛美の重要性を再確認しつつ、しっかり声を出す事、その有益性、明け方にその様な歌い方が出来る場所を見つけられた事に改めて感謝し、甘く、くすぶっていた事を悔い改めました。

 

 

 

さて、今年の11日も家族4人でのお出掛けを計画しましたが、朝は特に慌てる事もなく、準備が出来たら出発しようというゆったりとした流れになりました。

 

そんな時、ウチには今年14歳のダックスがいるのですが、出掛ける前にどうしても散歩とお風呂、骨付き肉をあげたくなり、いつものように庭と畑を散歩。

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これにより、この日は見る事のなかったであろう畑の野菜達を観察する事が出来ました。

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その後洗ってから大好きな鳥モモをあげました。 ある意味最近で一番変わったのはこのダックスです。 RAPTさんの所の犬達の影響で、生の骨付き肉をあげるようになってから本当に毛もツヤツヤになり、何より活力が全く違うのです。

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さて、今回のお出掛け先はYouTubeでたまたま見つけた岐阜県美濃加茂市にある「ヤマザキマザック工作機械博物館」となりました。 工作機械メーカー大手で、その機械の歴史などをいろいろ展示してあるようで私には大変興味が湧いたのです。

 

しかし気になるポイントが、、  何と展示が全てB1とB2の地下なんです。 尚且つ地上には入口であるガラス張りのピラミッドのみ! 何やら悪魔崇拝のキーワードが揃っていてココは大丈夫か? と思わされます。

 

しかし祈ってみてもそこはダメだという感じは無かったので、もし更に良い所があればお導き下さい。と祈ってありました。

 

そして 午前中、慌てる事無くゆっくりと出発し、到着したのはお昼頃。 お弁当も持って来ているので時間的にどうしようかと考えましたが、そのまま先に入る事にしました。

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 やはり平日な事もあり、ほぼ貸し切り状態。 

 

入口のピラミッド部分は完全に温室状態で、この時の外は少し肌寒い感じでしたが、聞いてみるとこの部分には一切空調は入っていないとの事。 ちょうど家の畑にビニールハウスを作りたいと思っていたところだったので、なんだか作りなさいとも言われているように感じました。

 

 

 さて受付を済ませ下のフロアへ進みます。 まずは古代の旋盤としてエジプトで使われていたと言う、木製の物が幾つか展示してありました。ここから最後まで通して思う事は、結局は加工物を固定してからそれを回転、そして刃物を当てて削る。 これは時がどれだけ流れても変わらない、つまりは途中で展示してあったような、蒸気機関車、飛行機、ヘリコプターなどの、どの部品の加工も根本的には全く変わりが無いという事です。 そのまた雲の上の存在に思えるロケットでさえ、そう遠くない気がしてきます。

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そして最後にはまた入口に戻ってきますが、そこでお土産となる物もいくつか置いてあり、その中でPP製の工作シートが4種類 「車、飛行機、機関車、ヘリコプター」、この中から一つずつ子供に選ばせて買っていく事にしました。

二人は「こっちだそっちだ」とずっと選んでいましたが、最終的には「飛行機とヘリコプター」になったようです。 

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そうどちらも航空機なんです。  

 

 

 そう言えば私のお客様の中にも、実は航空機や宇宙に興味があるんだ。と言う人が何人かいた事を思い出し、これらから「車だけで満足せずに空の分野にも進め」とも感じました。

  

 博物館を総じた感想は、一言。  来て良かった。

 

 

 

 

さて、そこから少し行くと、旧昭和村。 現在は「ぎふ清流里山公園」となっている所があり、入園も無料。 当初の予定通り、ここでお昼となります。

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園内のベンチで頂きましたが、寒くも暑くもない良い天気でした。

 

その後、園内にドッグランもある事からか、犬を連れた人達を多く見掛けました。その中でウチと同じダックスを連れている人がそばを通ったので、「今何歳ぐらいですか?」 と声を掛けてみました。 2匹いて片方はずいぶんと弱っていたので、

・ウチの犬も一時期動けなくなる程弱った時に、ドックフードから人間と同じ食事に変えて、劇的に復活した事。

・1か月半前から、骨付き生肉、鳥ももを一日1個食べるようになって、更に劇的変化した事。(大げさではなく5~6歳は若返った感じ)

 

と言う話をし、犬も人と同じで食が大切な事、世の中の常識が間違っている可能性についても伝えました。 この事により、陰謀論以外のさまざまな分野での真実が、神様への新たな入口になると実感するに至ります。 

 

 

さて、お昼の後は公園内を進みます。 かなり広大で、木々が大変豊か。

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昨年末から木の剪定が予想外に趣味となった私としては、その木1本1本の枝ぶりが気になってしょうがない。 この枝は残すか? この枝は切るのか? そして人の手が加わっていない自然な木が多いので、自然樹形、木が自ら枯らした枝(不要枝)などの観察が出来ました。

 

いつも思いますが、やはり木と人間はその性質が似ているようです。

・1本として同じ木は無い。(人の個性も同じ。)

・小さい時は弱い。(人の霊と肉も幼い時は弱い。)

・幹と枝葉は繋がっている。(心で思っている事は、言動や行動に現れる。)

・木は実(種)を結ぶ事が大仕事。(人も生きていく中で実をつける事、そして実と言っても良い実を成らす事が重要であり、そしてそれらは種でもある。)

 

実際に私が毎日木を見る時には、どの枝が不要でどの枝を残し育てていくのか? 常にそう言う目線で見続けています。 そしてお客様など人と話す時には、その人にとっての不要な枝は何か? また他の枝に埋もれている残すべき小さな枝は何なのか? それらを考えながら応対しています。

 

では木にとって良い形とは何なのか?

・葉っぱが光合成してその養分を根に貯める為、効率良く葉を展開する事が求められる。 これは言わばソーラーパネルであり、重なっていると効率が落ちる。 よって重なるような枝は取ります。 そして例えば刈り込んだ木のように、内部に光が入らない場合、中にある葉は枯れて無くなりその後新しい芽も生えなくなってしまいます。

 

同じように人の心の中にも光が入らないと枯れていきます。 なので外側にある不要な枝葉同様、覆っている「罪や悪」を取り除き、内部へ光を導く事が重要に思います。

 

 

 

さて、園内を更に進んで行くと先に牧場が見えてきます。 馬、羊、ヤギ、鶏、など。

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普段あまり目にすることのない動物を間近で見ることが出来ましたが、私は特に聖書で良く出てくる羊とヤギが気になります。よく観察すると羊は目がとても大きくモコモコして愛らしく、逆にヤギは角が正に悪魔的で、その風体からも良い印象は持てませんでした。

 

同じ羊と言う字を使いながら、羊と山羊でここまで違うものかと実際見て驚き、羊は従順、ヤギは荒くれ者、正にその通りに思います。 ちなみに鶏は思ったより大きく感じられました。

 

 

後から気付きましたが、私たちが入った所は東門になるようで、正門入口付近にはお店や足湯、子供の遊べる遊具などがあり、もしそちらから入っていたら、最北端の牧場には到達していなかったと思われます。 今回の公園は「木、羊、ヤギ」を見せて頂いたようです。

 

昨年末から「木や野菜」に興味が湧いてきた事はお伝えしましたが、実は最近「うずら」が気になる、、  そう、聖書でエジプト脱出後、荒れ野で神様から頂いた「海から飛んで来たうずら」です。 この箇所を読んでから 「ふ化させて飼いたい」 と感動がありました。(ちなみにその後は屠って食べる。までが感動の内容です。) 昨年は木々、来年は動物の年になりそうです。

 

そう、この屠(ほふ)って食べるという事は、自分がすると考えた場合ほとんどの人(日本人)が抵抗を持ち、可哀そうと感じるはずです。 しかし日常喜んで「肉」を食べている。 この見事なギャップは以前から疑問に思っていた事です。 聖書では動物を屠るという事が至る所に書かれていますが、生きていく上では至極当然な事なのです。

 

先の「海からうずらが飛んで来た」という話も、実際脱出した民は60万人もいて、その膨大な数の民に見合う分量のうずらを、神様は与えられたのである。 人はただ生きるのではなく、生かして頂いている神様に感謝し、活力に溢れ行動するべきと思います。

 

 

 

さて、話は園内に戻りますが、その後に紅葉した落ち葉、どんぐりなどを拾いながら出口へと歩きます。 

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その道すがら、嫁と4歳の姉は御手洗へ、私と2歳の息子はその辺りを散策する事に。 すると私は自然樹形の松の木々を見つけて動画を撮りたくなりました。

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少し上に向け左から右へ、、 すると「あっちに行ってもいい?」という息子の声が聞こえる、、 視線を下に移すと、  息子は急斜面を歩いて降りている!!

急いで追いかけて掴む事が出来ましたが、危うく頭から転がり落ちて行くところでした。 間一髪とは正にこういう事を言うのだと思いますが、神様、そして天使天軍が常に守って下さっているのだと実感せずにはいられません。 ありがとうございました。

 

 

 公園は早目、夕方あたりには切り上げて出発し帰路へ。 残すは夜ごはんですが、昨年と同じ焼肉のお店としました。 我家では基本豚肉と鶏肉がメインなので、牛肉もそういった意味新鮮で良かったです。 また肉を焼く事自体が旧約聖書の燔祭を彷彿とさせ、祝祭の日と言う事をより実感するに至りました。

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そして最終的にですが、、  食べ過ぎました。

 

 

これも最近思っていた事ですが、断食した日の方が明け方調子が良い。 もちろん活力的な事で言えば食べた方が良いわけですが、食が過剰だと「眠気、雑念」が多い。 以前は1日1食を目指していましたが、子供が産まれてからはそれが難しく、現在では私の週一回の断食を家庭内に定着させるに留まっています。 しかしながら私には、一回ずつの分量を調整する事が出来ず、やはり回数を減らす事が最善であるとこう書いていても思います。 こうして今後の食の在り方についての問題点も見せて下さいました。

 

 

あと最後の話としてはなんですが、食事の後にそのお店の御手洗に寄ったんです。人と入れ違いに入りましたが、その時に私の気分が落ちました。

 

それは洗面に置いてあったペーパータオル(引くと次の1枚が出る物)が台上に散乱しており、2連のトイレットペーパーホルダーも共に芯のみ。 私は新品のロール2つをセットし、台上のペーパータオルも使えるように集め組み直しました。別にお店の人がどうこうという話では無く、「大事なのは自分だけで他人はどうでもよい」という人が今の世の中に多いのだという事、そしてあの気分の落ちようは、正にこの世を見ていらっしゃる神様の心情そのものだったように感じられました。

 

 

 

事故もなく無事帰宅し、実に恵深い日が過ごせましたが、一日最後のルーティーンである子供とのお風呂の時に娘から言われました。「今日一日楽しかった」と。 私はそれに対して「全て神様のおかげだよ」と一言。 「常に全てを見ていて、悪い事をすると自分にも悪い事が返ってくる、でも良い事をしていればもっと良いものをくれるよ」 「神様に感謝しよう」とも伝えました。

 

本当に子供はスポンジで、良い事も悪い事もすぐに吸収します。 子供を正しく導き育てて行く事が出来るのは私達だけであり、それも一つの伝道である事を思い出しました。 聖書にも「幼子のようであれ」とありますが、我々大人はそのスポンジにさまざまなものを吸わせ続けているので吸う力が弱い、もしくは吸わなくなっている。ましてやその吸った物のほとんどは「悪」だった。という事にも気付いていない。 

 

まずは自分のスポンジを絞り、もみ洗い、新たに良いものだけを吸わせていくと、、 見事に別人に生まれ変わる事となる。 ニコデモの言う「どうして母の胎内に戻ってまた産まれる事が出来ようか、、」 と言う言葉。 しかしそれが実際出来る。

 

老若男女問わず考えが変わればその人の全てが変わり、つまりは別人へと生まれ変わる。 そしてこれらを考えた場合、子供を初めから善に育てる事の重要性も見えてきました。

 

まだ見ぬ人達を救うには我々の子孫が救われていなければならない。そして子孫が救われる為には当然親である我々が救われていなければならない。 自分自身の戦いももちろんですが、その先に繋がるものも見えた気がします。   

  

 

 

一人でも多くの人が立ち返り、更に悪が滅ぼされますように。 皆が祝福を受けられ笑顔となれる世の中になりますように、来年の11月11日を更に大きく成長して迎えられる事を祈ります。

 

 

まとまりのない話でしたが、思った事、感じた事を綴りました。

 

最後まで御読み下さり有難う御座いました。

 

 

 

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